2021年03月11日

【東日本大震災10年】当日仙台に行って被災者となってしまった私でさえ、日々の生活に忙殺されれば、忘れかねない・・・個人的には、先程見た「音楽の日」のファンモンの再結成、ああいう形が実は一番いいのかもしれません




今日、東日本大震災からちょうど10年が
経ちました。

以前も当ブログで触れましたが、私は
10年前の震災の日の朝、東京駅から
新幹線で実家の仙台に行きました。

病気療養する父の見舞いで、医者も
交えて、家族会議をする予定だったん
ですなあ。

当日、仙台市内の病院に着いたのは、
14時頃です。

医者も交えて会議をするのは15時頃の
予定でした。

久々に家族四人で揃って、さあ、そろ
そろ医者との会議かと思ったその時。

14時46分。

病院の7階にいた我々家族は、突然の
揺れに当惑しました。

そして、その揺れは一向に収まらない。

というか、むしろ、揺れは激しくなって
いる。

父が横たわるベッドを私は兄と一緒に
抑えるものの、我々も立っておられず、
座り込みながらをベッドを押さえていま
した。

しかし、我々自身、ベッドを抑えること
よりも、「我が身が大丈夫か」という
思いにかられました。

ちょうど、その一月くらい前にオースト
ラリアで大地震があり、ビルが崩れる
映像を見ていました。

私は「オーストラリアのようになるん
じゃないか」と悪い予感を感じました。

とはいえ、病院の7階です。

何もできないんですよ。

いざ、大地震が来ると。

逃げようがない。

7階から飛び降りるわけにもいかない。

地震が収まるのを待つしかない。

しかし、地震は収まらない。

というか、むしろ、揺れはもっと激しく
なっている。

「オレ、死ぬかも」と思った、人生で
初めての瞬間でした。

多少収まってからも、いろいろと大変
でして、医者との会合は中止となり、
父を病院に残して、母と兄と私は病院
から1時間ほどかけて歩いて帰りました。

道路は大渋滞。

というか、信号も停電で止まっていました。

最も印象に残っているのは、帰り道で
見かけた車のショーウインドーのガラス
です。

粉々になっていたことはねえ、「この地震
は普通じゃない」と思わせられました。

ちなみに、後に日本国民に衝撃を与えた
津波の映像は、この日は私は見るどころか、
知る由もありませんでした。

帰宅して、実家の棚から落ちたものを
片付けたりしてね。

一応、私が仙台にいることを知らないで
あろう友人たちにもメールを入れました。

ただ、停電の中、携帯の充電がどんどん
減っていきまして、これが一番参ったと
いうのが正直なところです。

翌日か翌々日だったか、近くの若林区役所
に行って、携帯の充電をさせてもらうと
共に、テレビで映っていた津波の場面を
初めて見ました。

でもねえ、津波云々について考えている
ところではありませんでした。

女房子供を川崎に残してきていましたしね。

新幹線は止まったままで、バスで新潟まで
行って、そこから上越新幹線に初めて乗って
川崎に帰ったのは震災から一週間後でした。

・・・もっと語りたいですが、残念ながら
時間がありません。

こんなものなんですよ、現実は。

日々の生活に忙殺されれば、忘れかねない。

個人的には、先程見た「音楽の日」のファン
モンの再結成、ああいう形が実は一番いいの
かもしれません。

娘も見ていましたし。

真面目な番組もいいのですが、正直、当事者
としてはあまり見たくない。

「もういいよ」という感じです。

明日も早いから、もう寝ます。

これが現実です・・・。




*ファンモンの「あとひとつ」を聞けただけ
でも、今日は良かった。↓






posted by あらやまはじめ at 23:52| 神奈川 ☀| 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする






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