2020年12月01日

【祝!】愛子さまの19歳の誕生日を愛でる!・・・我が娘と同学年ですからねえ、あの日は仙台の実家に、今は亡き女房を連れていったんでした・・・亡き父のことも思い出しますよ、本当に





忙しさにかまけて、11月は当ブログで
全く記事を書くことができませんでした。

読者の皆様には大変申し訳ない・・・。

忙しいと、どうしても、Twitterで
気になった記事にコメントをつけて、
リツイートするだけで終わってしまい
ます。

非常に便利な機能でありますが、個人的
にはそれでは良くないと思っています。

短文では曲解されかねませんからね。

さて、一月ぶりのニュースブログの
話題は、明るい話題で参りましょう!

愛子さまです。

つい先日、秋篠宮さまが55歳の誕生日に、
長女の眞子さまの結婚を認める発言が
ありましたが、その話題について語れば
長くなります。

今日19歳の誕生日を迎えた愛子さまに
ついてだけ、今日は述べましょう。

愛子さまが生まれた19年前の12月1日の
ことはよく覚えています。

なにしろ、今は亡き女房のお腹の中に
我が娘がいまして、12月1日は仙台の
私の実家に連れていった、まさにその日
だったからです。

私の娘はその3か月後に生まれました
から、女房のお腹はだいぶ大きくなって
いました。

そんな最中に、愛子さまが生まれた
ので、これまた今は亡き私の父も
大変な喜びようでしてね。

「生まれてくる子は、愛子さまと同学年に
なるなあ。こりゃあ、めでたい!」

・・・当時、「愛子さま」と言っていたか
どうかは記憶にありませんが、とにかく
「めでたい!」と喜んでいたことだけは
今も覚えています。

元々、私の父は、野球やゴルフを見る時
以外は、あまり騒がない人でした。

銀行員でしたから、私が子供の頃は帰りも
遅く、休日に時折キャッチボールをして
くれたこと以外はほとんど話もした記憶が
ありません。

中学生の頃だったか、父の仕事の都合で
仙台から新幹線で20分くらいの古川と
いう土地に一時的に住むことがありました。

仙台の中学では給食だったのが、古川では
弁当を持参しなければなりませんでした。

いつも、母がのり弁を作ってくれましたが、
ある時、母が病気だったか不在だったかで、
父が弁当を作ってくれたことがありました。

その日の昼、弁当箱を開けてみると、なん
だか異臭が漂う・・・。

なんと、父は弁当に納豆を入れたんです
なあ。

でもねえ、今思えば、弁当を作り慣れない
父なりに栄養を考えて入れてくれたのかと
思えば、泣けてくる。

私も娘の弁当は中高の6年間作りましたが、
「栄養と、娘が好きなもののバランス」を
考えれば、弁当作りなるものは本当に酷と
いうか、親泣かせでしてね。

冷凍のおかずを入れても、帰ってきてから
ティッシュにくるんで捨てているのを発見
したことも数知れず。

怒るどころか、ケリを入れたことも数え
きれない。

それでも、娘が社会人になって、一時は
娘に自分の弁当を作らせましたが、今は
私が作っています。

朝の忙しい時間帯に、娘が弁当を作ると、
娘が朝ごはんが食べられない、あるいは、
食べたくないことが分かったからです。

まあねえ、娘が卒業して子育てが終わった
かと思っていましたが、大間違いでした。

結局、しばらくは子育ては続くのでしょう。

・・・我が身の話題が長くなりました。

愛子さまの話題に戻れば・・・。

愛子さまが小学校の時だったか、中学校の
時だったか、いじめとまでは行かずとも、
それに近いような状況があったことは
聞いたことがあり、それは私も一人の
親として心を痛めました。

ましてや、雅子さまもご病気だったわけで
・・・。

他人事ではありませんからね。

月日が経てば、「あんなこともあったっけ」
と思うかもしれませんが、当人たちから
すれば、忘れられないことでもあります。

しかし、愛子さまは今日19歳になりまして、
元気なお姿を我々国民に見せてくれました。

同学年の我が娘も、今朝は相変わらず、
ぶんむくれていましたが、帰宅すれば、
テレビのお笑い芸人を見ては元気になる。

愛子さまの19歳の誕生日を愛でると同時に、
我が娘ももう少しで19歳ですからね。

少子化の現在、この若い世代を愛でよう
ではありませんか!



*愛子さまについての書物を紹介して
おきましょう! ↓









posted by あらやまはじめ at 22:26| 神奈川 ☀| 皇室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする






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