2018年03月11日

東日本大震災から今日で7年・・・高一の娘が「貴ノ岩がこれから・・・」と言うのをさえぎってでも、14時46分には黙祷・・・忘れないこと、これが一番大事だと思っています




今日は、平成30年3月11日。

東日本大震災からちょうど7年の
日です。

当ブログでも、毎年この日だけは
震災について触れてきました。

7年と言えば、「7回忌」を想起
させますから、ちょっと今年は
特別な思いもあります。

私の父は震災の翌年に亡くなり、
7回忌は昨年、仙台で行いました。

震災の日は、私もたまたまその日
の朝、新幹線で故郷の仙台に戻り、
昼過ぎに入院している父を見舞いに
行きました。

父の主治医と家族を交えての話が
15時から始まるため、「14時半
くらいに病院に集まる」ことに
していました。

結構古い病院の7階に父は入院
していたのですが、14時46分、
父も含め、私の家族はまさに
そこで震災を経験しました。

それまでに経験したことのない
揺れが、「これでもか」と続き、
私は初めて「死ぬ時というのは、
こういうものなのか」と一瞬、
観念したことを覚えています。

なにしろ、7階ですから、逃げ場
もない。

15時すぎに、主治医との話も
あの状況でしたから、流れて、
父を病院に残し、母と兄と私は
実家に歩いて帰ることにしました。

1時間以上歩いたでしょうか。

道路は車で渋滞。

車だったら、たぶん、夕方までに
帰れなかったでしょう。

その道中、今でも覚えているのは、
街中の車のショールームの大きな
ガラスが無残に割れていたこと
です。

ものすごい「ガラスのトゲ」が
歩道に突き出していましてね。

携帯で写真を撮ろうかとも思い
ましたが、「不謹慎だろう」と
思い、やめました。

あの「ガラスのトゲ」で、私は
「この地震はただの地震じゃない
ぞ」と思ったものです。

なにしろ、道中はもちろん、帰宅
してからも、停電でテレビは映り
ませんから、後に見ることとなった
津波も、その日は確かラジオで
聞いたのみで、どれだけの被害が
起こったのか、知る由もありません
でした。

・・・語り始めたら、キリがなくなり
ますので、この辺にしておきますが、
こういう経験を仙台に住んでいた
人間はもちろん、東北、あるいは
関東でも皆しているわけでしてね。

でも、私も長年当ブログを続けて
いますが、7年経って、ようやく
ここまで語れるようになったと
いうところでしょうか。

ちなみに、私はその後5日間、
今の自宅のある川崎には帰れ
ませんでした。

その時のことについては、また、
来年の今日にでも少しずつ語って
いくことにしたいと思います。

今日の14時46分、今回の記事タイトル
にもあるように、高一の娘はBSで
十両の大相撲中継を見ていて、
注目の貴ノ岩が登場するところ
だったようです。

私は14時45分くらいに、テレビの
前に行って、「NHKにチャンネルを
替えて」と言うと、娘は「貴ノ岩が
これから・・・」と言いました。

私も相撲ファンですし、貴ノ岩も
見たい。

ですが、14時46分という時間は
忘れたくても忘れられない時間
でしてね。

娘の言葉をさえぎってでも、
黙祷をしました。

頭を垂れて、目をつぶって。

毎年言っていますが、「忘れない
こと」、これが一番大事だと
思っています。

それが、犠牲者に対する、せめて
もの「生き続けられた者ができる
こと」ですから。

志半ばで突然、死を強制させられた
人間がどれほど多かったことか。

私も死ぬまで、この日は黙祷を
続けたいと思います。


posted by あらやまはじめ at 21:35| 神奈川 ☀| 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする






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