2017年09月19日

【訃報】元ヤクルトのデーブ・ヒルトン氏、67歳でお亡くなりになりましたか・・・1978年のヤクルト初優勝の立役者の一人ですよ、ご冥福をお祈りいたします



もう39年前なんですねえ・・・。

1978年のヤクルトの初優勝、そして
初の日本一は。

私は、おぼろげながらに覚えています。

小学2年生の頃でした。

というか、あれ以来、ヤクルトファン
になったんですよ。

80年代後半までは。

今は、仙台出身ですので楽天を応援
していますが、当時は楽天もあり
ませんでしたしね。

そんな78年のヤクルト優勝の立役者の
一人であったデーブ・ヒルトン氏が
お亡くなりになったニュースを先程
聞きました。

ヒルトン・・・。

1番バッターでしたね。

正直、あの当時はプロ野球中継も
ほとんど見ていませんでしたが、
選手名鑑でその名前と顔は知って
いました。

思えば、78年のヤクルトはかなり
攻撃的な布陣でした。

1番のヒルトンが打率3割1分7厘、
19本塁打、76打点をマークした
のですから。

逆算すれば、あの当時28歳だった
んですなあ。

その若さで、よく日本でプレーして
くれましたよ。

当時の日本のプロ野球界にいた
外国人選手の中でもかなり若かった
はずです。

だいたい、当時は日本に来る外国人
選手は、大リーグで盛りを過ぎた
「ロートル」が物見遊山で来ると
いうのが相場でしたから。

あの当時の広岡達朗監督は、かなり
厳しかったと思いますが、ヒルトン
氏はどう思っていたんだろうね?

そういう話は聞きたかったなあ・・・。

外国人選手から見た広岡監督のことは。

同じヤクルトにいたチャーリー・
マニエル氏は後に大リーグの監督と
なり、日本での経験が大きかった
ことは以前どこかで聞きましたが。

80年には阪神に移籍するも、当時
新人だった岡田彰布(後の阪神監督)
を「セカンドで起用しろ」という
関西人及びマスコミの声に耐えられ
なくなり、当時のドン・ブレーザー
監督共々、失意のうちに日本を去る
ことになったことも大きな話題に
なりました。

まあ、当時は今と違って、日本では
外国人選手はあくまで「助っ人」で
あり、「ガイジン」でしたからね。

不寛容だった。

逆に言えば、今の日本は当時と比べ
れば、だいぶ外国人に寛容になった
とも言えます。

今だからこそ、ヒルトン氏には謝ら
ないと、バチが当たりますよ。

しかしねえ、67歳は若いなあ・・・。

私の父が数年前に亡くなった69歳
よりも若い。

どうしても基準になってしまうん
ですなあ、我がオヤジさんの死期
の年齢はね。

ヤクルトファン、元ヤクルトファン
にとっては、忘れられない一人です。

ヒルトン氏のご冥福をお祈りいたし
ます。


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posted by あらやまはじめ at 23:32| 神奈川 ☁| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする






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