思わぬ訃報を聞きました。
羽田孜元首相です。
第80代内閣総理大臣。
82歳になっていましたか。
私はここのところ、政治の話題は
いろいろな思惑もあり、あえて
避けていましたが、訃報であれば、
取り上げないわけにもいきません。
というか、この人は取り上げる
べきでしょう。
1993年に自民党の「55年体制」が
崩れ、非自民の細川護熙政権が
できた時、私はアメリカに留学中
でした。
当時、私は22歳くらいでしたが、
若き日の私はバリバリのリベラル
でしてね。
「保守派」が大嫌いでした。
野球でも、巨人が大嫌いだった。
・・・まあ、巨人は今でも嫌いですが、
年齢を重ねると、政治信条も少し
ずつ変わってくるものです。
それはさておき、あの頃の細川
政権は海の向こうから見ていても
希望を抱かせる政権でした。
そして、その中枢には羽田孜さんも
いた。
その羽田さんが脚光を浴びたのは、
細川さんが(私に言わせれば)
「どうでもいい問題」で辞任した
後です。
羽田さんが細川さんの後を継いで、
首相になったんですなあ。
私は1994年5月にアメリカの大学を
卒業し、帰国しました。
その翌月ですよ、羽田さんが首相に
なったのは。
ただ、あんまり覚えていないなあ・・・。
というのも、私は就職活動に勤しんで
おり、その間に社会党の村山富市さん
が首相になってしまったからです。
そちらのインパクトの方がデカかった。
思えば、羽田さんの首相在任日数は
わずか64日です。
約2か月。
これでは、若き日の私が覚えていなく
ても仕方がない。
首相在任中は「省エネルック」をした
ことくらいでしょうかね、覚えている
のは。
ですが、羽田さんの役割はやはり、
首相になる前が大きかった。
小沢一郎さんと自民党を一緒に離党
してね。
あれで、「55年体制」が崩れ、二大
政党制への端緒が開けたのですから。
もっとも、あれから20数年経って、
二大政党制が根付かないのは、
民主党(現・民進党)が「社会党化」
してしまったことが最も大きいと
思いますが、それはさておき・・・。
風穴を開けた一人としては、日本の
現代政治史に名を残す人物だったと
言っていいと思います。
他にも言いたいことはありますが、
今日のところはこれくらいにして
おきましょう。
羽田孜元首相のご冥福をお祈り
いたします。
*羽田さん関連書物、紹介して
おきます。↓
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