2017年01月26日

今週の「週刊新潮」の「それでも韓国と仲良くしないとダメなのか?」について一言・・・「情治国家」には呆れるのを通り越しました、淡々と一定の距離を置いて、我々は熱くならないようにしないと・・・



今日は「週刊文春」と「週刊新潮」の
発売日ですが、私は「週刊新潮」の方を
今週は購入します。

(*今週号はコチラです。↓)




その理由は、先般、当ブログでも
話題にした「稀勢の里」の記事が
文春よりも大きく掲載されている
というのが大きいですが、もう一つ
の記事も気になったからです。

その記事の見出しは・・・

・それでも韓国と仲良くしないと
ダメなのか?

・・・です。

今般の韓国における「慰安婦像の
設置」や「竹島上陸」等、もはや
私は呆れるのを通り越しています。

一応、私は四半世紀前、アメリカ
に留学していた時には、韓国人の
友人も何人かいましたし、帰国後も
何年か文通を続けた友人もいました。

一時期は、韓国語を独学で勉強し、
韓国の歴史もアメリカの大学で
学んだこともありました。

比較的、「親韓派」だったと自負
しています。

しかしながら、そういう「親韓派」
さえをも呆れさせる出来事が多すぎ
ますよ、ここ最近の韓国は。

「最終的かつ不可逆的な」結論を
見た一昨年末の慰安婦合意を翻すか
のように、慰安婦像を建てまくる。

それが国際法違反であるにも関わらず、
「国民が納得しないから」と言って、
問題を先送りにして、平気でいる。

法よりも情を優先する「情治国家」。

そもそも、日本大使館前の慰安婦像
だって、撤去することで一昨年末に
両国で合意したわけです。

撤去どころか、逆に慰安婦像は増えて
いるではないですか。

四半世紀経っても、「何も変わって
いない」と断罪せざるを得ません。

新潮の記事はこれから読みますが、
内容は読まなくても大体分かる。

どこの国家とでもそうですが、
「国対国」で仲良くする必要など、
ありません。

というか、できないでしょう。

個人レベルであれば仲良くなれても、
国レベルになると、いろいろな思惑が
ありますからねえ。

そんなに簡単じゃないですよ。

そもそも韓国が民主化したのは、
1980年代後半になってからです。

民主主義の歴史がまだ30年あまりで
あることを考えれば、「情治国家」
であるのは致し方ないと、韓国に
対しては、今はもちろん、今後も
しばらくは、過度な期待をすべき
ではありません。

淡々と一定の距離を置いて、我々は
かの国の多くの国民のように必要
以上に熱くなることがないよう、
むしろ、注意していかないと。

同じように熱くなってしまえば、
進む話も進まなくなってしまい
ますからね。

「民主国家」として、淡々と「情治
国家」に向き合っていくしかないと
思いますよ。



*「帝国の慰安婦」、昨日の無罪判決は
当然です。むしろ、これが裁判になって
しまうこと自体が「情治国家」である
ことの証左です。↓



posted by あらやまはじめ at 11:02| 神奈川 ☀ | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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